終点の後には、再び出発が待っているのだ。
終わらない作曲。終わらないドライアイ。
しかし、メモに間違いがあると、全て間違えが発生するので、メモは重要。
歌メロの小節数メモに多大なる間違いがあり、何度同じ曲のファイル変換とエフェクト加工を繰り返したことか。
筆者は、昔「メモ魔」だった時がある。漢字で書くと普通に読めるが、ひらがなで書くと「めもま」である。
ま行だけで作った、新しいキラキラネームみたいな…。
良いお父さんお母さんは、「めるもちゃん」のノリで「めもまちゃん」と名づけないように。
言いにくいだけだから。
本題がなんだと言うと、今ほど思考回路は落ち着いていないが、頭の回転だけは速かった頃、思いついた「創作のネタ」を、メモ帳に細かい字で書いて、それを作るにはどんな準備を整えるべきかとかを、
考えるのが日常だった日々がかつてあったのだ。
今のところは、それほど追い込まれていないので、メモ魔と化すのは、Peaceと話しているときくらいだが。
現在の作業的に、映像を扱うことも増えてきたので、メモより写真を撮ることのほうが多くなった気がする。
だが、なんにつけても、「紙にペンで書いたメモ」と言うのは、中々使えるものなのである。
「読むのに媒体(モバイバルツールなど)が必要ない」とか、長年にわたり保存しておけるとか。
「紙とペン」は、便利な反面恐ろしい部分もあり、例えば、電話で話しているとき…筆者とPeaceの会話は、「メモ前提」で行なわれるので、双方の理解はあるのだが(と、筆者が勝手に思っているのだが)。
とある友人から電話がかかってきて、何気なく言った一言を、メモされている…という事があるのだと、今日判明した。
たぶん、向こうとしては、面白かったから忘れないようにメモしなきゃ、と思ったのかもしれない。
そのメモを繰り返し読んで、ウケているのかもしれない。
笑かしてくれる友達が少ないと言う、心の溝を埋めているのかもしれない。
悪気はないのかもしれない。
と、己に言い聞かせるがごとく、善意に受け取るとしても、
半年くらい前に行った何気ない一言(筆者本人は忘却している)を、
「空(くう)さんこんなこと言ってたよー(笑)」
と言われても、筆者は全く笑えないのだが。
これは自覚していることだが、テンション高い時の筆者は結構、辛口な笑いを提供しているときがある。
その友人が…恐らくメモっていたのも、そんな辛口発言で。
「結構どすの利いた事を述べていたな」と思ったが、
「自らの発言をネタに自分を笑え」と言うのは、なんとなく「自虐的」な様相を呈しているな。
たぶん、筆者本人だけでなく、色んな人に言いふらしてるんだろうなと、察せられる。
その、かなり困ったストーカー気質の友人が、何故今日電話してきたかと言うと。
上司にいじめられて退職を考えていたそうなのだ。
だが、友人のほうは「いじめ的なプレッシャーを与えられてる」と言う自覚が無く、話を聴いてみるに、その上司の発言と言うのが、非常に陰湿なプレッシャーをかけて、
友人のほうに、「退職したい」と言いださせようとしている作戦なんだろうなと言うのが話の流れ的に大体わかったので、
店長に洗いざらい話して、落ち着いて考えろという事をアドバイスしておいた。
全体的には、退職すべきか否かの相談だったのだが、ついて回る余計な一言のおかげで、なんだか筆者はその友人と話していると、スッキリしないものがある。
言葉には責任がつきまとうと言うのも確かだが、電話の内容をメモするときは、一言許可をもらうか、「メモしてますよー」とアピールするか、メモしても、言うな。
メモする側の心がけの問題だよな。アドバイスをメモするなら、まだわかる。
余計なことまでメモするな。
今度電話があったら、そのことを一言注意しておこう。